なんか人によって好き嫌い分かれるんだろうな〜〜〜って思うものがあって
芸能人の方の不倫とかの厳しめのニュースに対して、ワイドショーとかで芸人さんがコメントしてるのがネットニュースになってることがあります
そこで、芸人さんの真面目なコメントのあとに、「最後に『~~~』と付け加えて、スタジオの笑いを誘った」みたいな締めが付いてることがあるのを見たことがある方も多いと思うんですね
僕は別に嫌じゃないというか、むしろ厳しめのニュースでもちゃんとスタジオの空気を和ませる芸人さんってすごいよなあと思うのですが、人によってはあんまり好きじゃないと思うのかなって
それは芸人さんがそういう笑いの取り方をすることに対してじゃなくて(もちろんそれに対して不快という人もいるかもしれないけど)、「それをネットニュースに記載すること」がちょっと嫌っていう人もいるのかなと思います
もちろんそういうネットニュースの書き方がどうとか、その書き方が好きだからor嫌いだからどうとか言うつもりは無くて、ただ人によって好き嫌い分かれるんだろうなってだけなんですけど、よー考えたら世の中のほとんどがそうですね
(ギターソロ)
ギュイ〜〜〜ンキュルルティロリロリ
ピロピロピロピロピロピロピロピロピロピロ(←ライトハンド奏法)
ギュイィ〜〜〜〜ィイ〜〜〜(←チョーキング)
茶番は置いといて、高校時代の僕が文芸部に所属していたというのは過去に何度も話してきたことだ
僕の青春は文芸部に始まり、文芸部に終わった
そんな僕が文芸部を引退するときに後輩たちがプレゼントしてくれた色紙を紹介するというのが、今回の目的である
では行こう
どうやら僕は文芸部のムードメーカーであったらしい
そして「己にガチ勢であれ」
これは高校時代の僕の口癖だった
いつも己の魂にガチで生きなければならない
なぜなら調子に乗った瞬間人は死ぬからだ
心臓が息の根を止めるまで真実を求めてひた走れ
上下2つとも、僕が引退の年に入部してきてくれた子からのメッセージだ
書いてくれている通り付き合いは短いはずなのに、メッセージを寄せてくれるとはなんと優しい後輩であろうか
今頃この子たちがなにをしているかもわからないし、きっと僕のことなど忘れてしまっただろう
僕は走り続けている、消滅に向かって
赤班がなんのことかまったく思い出せないのが事故だが、僕は一人で仕事をこなしていたらしい
なにかしらの組織の長になったときにほかのメンバーに仕事を割り当てるのが下手でなんでもかんでも自分でやろうとしてしまうのは当時から変わらないようだ
この子の質問に答えると、家ではピンク一色の服を着て、ピンク色の培養液に浸かってピンク色のゲル状の養分を吸収している
初めて見た時から面白いと思われていたとはなんとも光栄なことだ
優しい先輩だったかどうかは、君がそう思うならそれでいい
ただ、僕は先日性格診断の結果「メンヘラレベル:超危険」と判断されてしまった
凶暴なメンヘラの中でも特にヤバいらしい
それでも僕を優しい先輩と言うなら、まあそういうことなんだろうね〜〜〜〜〜
プライベートな情報が多く載せられなかったものも含め、ほかにもたくさんのメッセージをいただいた
ただのMAXデンジャラスメンヘラガヤ芸人を優しいメッセージで送り出してくれたすべての後輩たちに、幸あれと願わずにはいられない
願わずにはいられないというか、彼ら彼女らがいま幸せに暮らしていることは、僕は不完全ながらも現実的に捉えている
たとえば、僕のバイト先の近くの本屋で後輩のひとりがバイトしていて、こないだ会ったら元気そうだった
このように、みんな幸せに暮らしているということの不完全ながら確かな証拠が現実に存在し、僕はそれを観測している
すなわちONE OK ROCKの逆である
不完全実証Realist
すなわち完全感覚Dreamerの逆ということだ
そしてワンオクの逆ということは、すなわちMY FIRST STORYの対偶ということだ
MFSは確実に「真」であり、対偶と元の命題は真偽が一致するから、僕が文芸部で過ごした青春の日々も「真」であったといえよう
さて、話は変わるが僕は自分のブログのなかに時折特異点を入れることがある
特異点:ある基準 (regulation)を適用できない、あるいは一般的な手順では求まらない(singular) 点である。
つまりそれまでの話の流れからは予測できない、文章的なルールを適用できない部分だ
今回でいうと冒頭のギターソロのくだりがそうだ
なぜそんなことをするかというと、そっちのほうが面白いと自分では思っているからだ
普通に文章を書いたところで、僕の文章力では面白くなりようがない
そこで文章のなかに変なものをたまに織り交ぜることで、ちょっと面白いかもと思ってもらえるようにしている
ちなみにわざわざそれを「特異点」と呼んでいるのも、そっちのほうがかっこいいと思うからだ
「エピソードトークの攻略法は何気ない話を面白く話す技術を手に入れることじゃなくて、普段から変なことをしまくること」と想都ぱらも言っていた
若干趣旨は異なるが、普通のエピソードを面白く書く技術は僕には無いので、普通のエピソードのなかに変なものをぶち込んで面白く見せようと努力しているのだ
その努力が伝わればいいな
想いが届けばいいな
想いが届くかどうかは、部屋と同じだ
どちらも「と」が無いと駄目だからだ
部屋に戸が無ければ人が勝手に入ってきてしまう
「とどく」の「と」が無いと「毒」になってしまう
そういうことだ
そもそも、僕の青春が真であったということの証明が完遂できていないことに、皆様はお気づきだろうか
証明の最後に「Q.E.D.」を書いていないからだ
Q.E.D.とは、ラテン語のQuod Erat Demonstrandum(これが示されるべきことであった)の略らしい
つまり、予め「示されるべきこと」としてはっきりわかっていることがあり、それを証明したときに使うものだ
だが僕の青春が真であったかどうかは、果たして示されるべきことだったのだろうか
いや、わざわざ証明などしなくても、真であることは決まりきっていたのではないか
「🌾世の中には証明する必要すらないくらいに決まりきっていることがある」
たとえば僕の青春の日々が正しいものだったということなど。。。
誰しも心の中に一つは、証明するまでもない、絶対的に真の命題を持っているはずだ
それこそが人生の道標となる
ただ一点だけ問題があるとすれば、🌾の命題の証明はする必要が無いのか、ということである
その点に関しては考察の余地がある
さあ、ここからは君が物語を紡ぎ出す番だ
ストーリーテラーのバトンは渡された
君が思い描く、君だけの物語を続けてほしい
それを銀紙に包んでくずかごに捨てて、そのくずかごを地面に植えて水をやるんだ
そこから咲いた花は大気圏を突破して、いつかこの大地に恵みの雨を降らせるだろう
その雨水を貯めて濾過してできた浄水が、干ばつに苦しむ銀髪のサキュバスたちを救うだろう
作物収穫量が回復し飢饉を免れた銀髪のサキュバスたちは、お礼に謎の塗り薬をプレゼントしてくれる
それがあらゆる痔に効く特効薬であると知られるまでに、そう時間はかからないはずだ
そして地上から痔に苦しむ人はいなくなり、痔ノ神(ジノシン:全人類の痔を司る最悪の神様)は恐怖で動けなくなってしまったという
これが「雨降って痔固まる」の語源である
偽りだらけさよなら𝑩𝑨𝑩𝒀。。。🥺🥺🥺